ジト目で睨(にら)む男子生徒と悔しそうに口を結ぶ女性が廊下で顔をつき合わせていた。
男子生徒が言葉少ない口を開く。
「おまえといると疲れる」
「は? ロロノア、ビタミン足りないんじゃないの?」
「…………」
ロロノアと呼ばれた男子生徒は突然くるりと女性に背を向けて、スタスタと無言でその場を去ってしまった。
女性は無言で立ち去ることに腹を立てずに――ロロノアという生徒はいつもこうだ――、普段と変わらない口調で
「もう帰るの? 寄り道はダメだからね」
「子供じゃねェ!」
間髪いれずに返ってきた答えを聞いて、はいはい、と女性は小声で苦笑をもらす。
ついつい自分の担当しているクラスの生徒だから、気になってしまうのだ。
男子生徒が廊下の角を曲がったのを見て、女性はグググと背伸びをし、よし、と気合いを入れた。
「わたしも仕事片づけて帰ろうっと」
終業式も終わり、校舎には人が少なくなっている。
誰もいない校舎など恐い訳ではないが、薄気味悪いと思う。横を通りすぎた女生徒達が「建物がでかくて人が少ないと寂しいっていうか気味悪いよね」と話しているのを聞いて
女性――ナミ先生もまた、背中に悪寒が走る気がした。
「疲れた……」
首を傾いで握った拳でトントンと肩を叩く。
オレンジ色の髪の毛を左右で縛って前髪はピンでとめている。もちろんゴムは黒。別に黒以外の色でもいいけど、いつも手に取るのはなぜか黒だった。
服装は動くことを第一に考えたであろう色気もまったくないジャージ姿。数学教師だが、白衣はなびく裾(すそ)が合わないと思い、ジャージ姿を選んでいる。いざ、おいた(悪さ)をした生徒をとっちめるのにジャージ姿は意外にも役に立っていた。全力で走ったり、とび蹴りしたり、なんせ体を動かしやすい。本人はとても満足していた。
けれど、いつも不敵に光って見えるメガネはなんだか雲って見えた。
ナミ先生は首を回して肩をほぐした。
ここは職員室、ナミ先生があてられた机で仕事を片づけていたのだ。
クーラーが入っているので暑くはなく、数時間しかクーラーの入れてもらえない教室で授業を受けている生徒に比べたら快適な環境だといえる。
けれどナミ先生の顔にはうっすら青筋。
機嫌が悪いらしい。
握りしめた赤ペンを机にポイっとなげつけて、メガネを持ち上げてゴシゴシと目をこする。
さんさんたる結果だったテストの点数をすれば、目をこすって見なかったことにもしたくなる。
それが担当している自分のカワイイクラスの教え子だと思うと、なおガックリとくるというものだ。
「あいつらー。30点以上取ったらわたしのブロマイド豪華(ごうか)3点セットプレゼントって言ったの忘れたのかしら、まったく。貴重なのわかってないわね」
少し乱暴にテストの束をまとめてクリップでとめる。
一番上の表紙には唯一(ゆいいつ)の合格点者の答案が置かれていた。
合格点者、というより、数学のテスト満点だったという方がいいだろうか。合格者なら他にもいるのだから。
いくらオバカなクラスの頭に合わせたと言っても、最後の一問はズバ抜けて難しい問題をだした。
だって易しい問題ばかりじゃあ、面白くないでしょ?
勉強は楽しく、面白く、がもっとう。ナミも昔はテストなど大嫌いだったが、解く面白さを覚えてから「勉強って面白いじゃない」と思い直すようになった。
だから授業では丁寧(ていねい)に、かつ根気よく、楽しく教えてるつもりなのだが……
生徒が聞く耳もたないのだから、その努力は生かされていない。けれど、生徒が聞いてくれないのはあたり前だ! とわかっているナミは「いかにやる気を起こさせるか」を考えて、今回のブロマイド作戦を思いついたのだった。
色気で勉強のやる気を起こさせよう! というなんとも動機が不純なものだったが、これまた本人が満足しているので問題なかった。
解答用紙をペラペラと意味もなく流すようにめくる。
最後まで見たがやっぱり満点なんて、ロロノア・ゾロ以外には満点者なんていなかった。
「授業中いっつも寝てるくせに……ヤラシイわね」
そしてもう一度また意味もなくパラパラと用紙をめくる。
「ん? なんか文字書いてある……」
めくってはじめて気がついたが解答用紙の裏に文字が書いてあった。よく見えるようにくるりと裏返して読んでみる。
「なになに……『ナミのブロマイドはいらねェけど、保健室のビビのならもらっていいな。腹にたまらないから』なんですってー! ビビのブロマイドだって腹にたまらないでしょうに! くそーコレかいたのルフィね、この子いっつも食べ物関係の文字書いて解答出すんだから……」
ビビは新任の保健医だ。清楚(せいそ)で可愛くて、こんな男クサイ高校にいるといつか毒牙にかかるんじゃないかとナミは以前から心配していた。
なんだか嫌な予感があたりそうでナミは顔をしかめる。
ま、大人なビビが食べ物にしか興味のないルフィを相手にするなど考えられないので考えるのをやめた。
もうラクガキはないかまた解答をめくっていくと――
「またあったし……子供か、あいつら。えっと……『悪いな、ナミ。おれは発明は好きだが数学は苦手だ。理科は好きだけどな』。じゃあ数学も勉強しろっての。似たようなものじゃない」
ナミがぼやくと小さい字でこう付け加えていた。
『数学と理科が似たようなものだって思っただろ? 違うぞー違うんだ。それだけだ、じゃあな by 未来の発明家』
「ペンネーム使っても表に名前書いてあるってのに……バカね。ウソップ、解答返却する時覚えてなさい。発明は爆発だって言ってやろうかしらね……フフフ」
そんな調子でパラパラとめくる動作が続くと連続して何枚か書き込みのある用紙があった。
「今度は何が書いてあるんだか……『愛するナミ先生へ おれは黄昏(たそがれ)の某国の王の一番末っ子の王子なんですが……以下略』」
ナミへの愛を語る文が長々とビッシリ書かれていた。
表と見比べても愛を語る文面の方が長い。裏に愛を語ってから、残り時間10分程度で解答を書いた姿がありありと浮かぶようでナミは乾いた笑いをもらす。けれどこんな文章書くのはナミの中で一人だけしか浮かばなかった。
保健室のビビに熱をあげるならわかるが、色気ゼロのナミにまで「本当のあなたは美姫」だと言ってきかない生徒。
「サンジ君……まず国語の勉強した方がいいわね。ムダにの≠ェ多すぎるわよ」
そう言ってメモに「サンジ君、国語もう少し頑張りましょう」と書き込んだ。これで次学期の一言欄は少しうまったわけだ。
続いてまた書き込みを読み上げる。
「この字……綺麗な字だからチョッパーかしら。『おれ、おれ、ブロマイドってどんなものか知らねェんだけど、終業式終わったらドクターくれはの所に帰るから登校日にテストもらえないんだ……。だから始業式のときに、点数足りなくてもほしいな。ダメかなァ? ナミィ……』可愛いわ、チョッパー。たった1日の為に学校なんて行きたくないわよね、ええ、始業式の時におまけで5枚あげるから!」
ブロマイドが欲しい、と言われた――実際には書かれただが――ことに舞い上がって、登校日に来れない理由を簡単に認めてしまったナミ。実はチョッパーには、ブロマイド欲しいとナミに言えば登校日に欠席扱いにならないであろうと予測していたのだった。
そんな腹黒い考えなんて知らないナミは素直に喜んで大事なところを見逃していた。
登校日に来ないことを。
――今回はチョッパーの可愛さ&腹黒勝ちといったところだろうか。
もう一度解答用紙をパラパラとめくってみると――
「ん? この字は……ロロノア? えっと――『満点取ってやったんだ。おれの言うことも聞け。終業式後に教室』終業式後に教室? ロロノア、意味が伝わってないわよ。まあ、来いってことだろうけど」
そう言ってチラリと時計を見ると
PM 6:32分。
先ほどロロノアと廊下ですれ違ったのがPM 3:00頃
既に3時間以上経っていた。
「……まさかこんな時間まで待ってないわよね」
ポリポリと頬をかくナミはアハハと乾いた笑いをこぼした。
つづく
←背景画像お借りしました。 トリコ 様