太陽が控えめに山すそから顔をのぞかせると、まるで夜明けを待っていたかのように小鳥がチチチチ……と元気よく鳴き始める。
そんな早朝に女が独り宮へと足を運んでいた。
心定めをして来たのだろう、女の他には誰もいない。
カラコロとなる下駄だけがお宮に静かな訪問者を告げていた。
少し霞ががってはいるが、女が傍目から見ると大層美しく、見目麗しい女性だとわかる。年の頃は20前後といったところだろうか、お宮に二礼し、二拝して拝む姿はあどけなさと同時に大人の綺麗さも持ち合わせていた。
女は髪の毛を束ねて、お気に入りの簪(かんざし)をさしている。朱色の珊瑚(さんご)の簪は母の形見だ。丸型のシンプルな型だったが、シンプルさ故にどんな髪型にもあって女は毎日身につけていた。
そして着物はお店に出ているのでお洒落着――というより仕事着と化しているから、その中でもなるべく清潔なものを選んできた。
(やっぱり神様にお願いするときは、一応キチンとしないとね)
どういった基準でキチンとなのかは女――ナミにしかわからなかったが、身だしなみを整えて、といったところだろうか。彼女には彼女なりのけじめが感じられる。
『えー今日も張り切ってお願いをしに伺いました。どーか、どーか……』
合わせる手が汗をかくほど力を込めて、
「おやぶんが1日でも早くツケを気前よくどーんと払ってくれて、おまけにビビのファンの客がどどーんと戻ってきて、風車が日夜行列がズラーっとできるほど繁盛しますように……。
どうか、どうか! お願いします、神様……でないと供えの握り飯持ってこないわよ。ねえ、神様……ふふふふ」
一息で言い切ったナミは息を整えると、照れくさそうに頭をかいてボソボソと小声で願い事をつけたす。
「銭も欲しいけど、恋とやらもしてみたいと思う今日この頃のナミちゃんなのよね〜エヘ」
最後の一言は冗談半分で言ったものだから自分で言っててなんだかくすぐったい。
ナミはアハハハとお腹を抱えて笑った。
「うるせェな、……騒ぐなら他所でやってくれ」
突然不機嫌な声が宮の中から聞こえた。
ギィィと戸を押し開けて中から出てきた男は眩しそうに朝日から顔を背けると、目を瞬(しばた)かせた。
欠伸(あくび)をしながらナミを一瞥(いちべつ)すると、舌打しすぐに興味を失ったように「小娘か」と言い残してお宮の中へと消えた。
ほんの束の間の出来事だったので、ナミはキツネにつままれた気がしたがすぐにブンブンと頭を左右に振って冷静に努める。
せっかく人に聞かれないように早朝に胸の内で願掛けしていたのに、いつの間にやら声に出ていたらしい。
それにしても。
それにしても、だ。
(なんなの、さっきの男! 誰が騒いでたってーのよ。おっさんに小娘なんて言われたって……、なんだか色気がないって言われたような気がして腹立たしいけど)
一瞬見えた格好を思い出す。
(そういえば行脚僧の格好してたわね。ん? え、あ、もしかして最後の願いも聞かれた!?)
カァァァと顔がのぼせるように真っ赤になったナミは地団駄を踏んで悔しがった。
が、時を告げる鐘の音にナミはハっと我にかえり、
「しまった、もうこんな時間! お店開けないと! 坊主より金よ!」
お宮に一礼しサッと踵(きびす)を返して走り去った。
ブツブツ悪態をつきながら疑問が浮かぶ。
「覚えてなさい! あんのくそ坊主……ん、どっかで見たことあるような……。ま、いっか。商売、商売っと」
「…………行ったか」
走り去る音を確認すると旅の僧はまた睡眠を貪(むさぼ)り始めた。
「ねえ親分、行脚僧のこと覚えてない?」
ガツガツとかき込むように食事を平らげる親分――ルフィに、ナミは覗(のぞ)きこむように尋(たず)ねた。
「あん、ふぉ、ホゴ?」
「……とりあえず、口の中の物飲み込んでからでいいわ」
呆れるナミをよそにルフィ親分は卓に乗っている風車自慢の定食をいっきにかきこんだ。
「ふー食った食った。で、おナミなんだって?」
「行脚僧よ、ほら、前にビビが道化のバギー一家に捕まって危険な目にあったでしょう?」
爪楊枝(つまようじ)で歯の掃除をしていたルフィ親分は合点がいくとポンと手を叩いて
「ああ、あの時の坊主か!」
「そう、そう。あのお坊さんの事で何か知ってる?」
「いや、知らねェ」
「…………そう」
お盆をギュっと握る手に力を込めてナミは視線を下げた。
「どうしたんだ、おナミさん! おれじゃなくて他の男の事を気にするなんて。なにかあった?」
包丁を片手によろりと顔をのぞかせたは風車の板長サンジだった。甘いマスクとうっとりさせられる言葉に世の女性がなびかないのはおかしい! と首をひねる毎日を送っている。その行動が逆に働いてる、とは思いもよらないらしい。だが、そんな彼も腕は一流で、今では風車には欠かせない人物となっている。
「おっ、なんだァ? 恋わずらいか〜おナミも隅に置けねェな」
「こ、恋わずらいか!? それは薬じゃ治せないなァ……」
顎(あご)に手をあててニヒヒとからかうのは親分の部下のウソップだ。こちらは注文もしないのにお茶だけすすって帰る、一番商売にならない相手でナミは時々お茶代を要求してやろうかと本気で考えていた。
一方興味半分、心配半分な喋り方をしているのはお医者様のチョッパー。通称、青鼻先生。おもにビビがそう呼んでいた。
「んもう、ウソップさんに青鼻先生、ナミさんをからかっちゃいけませんよ。いくら守銭奴(しゅせんど)のナミさんだからって、ねえ」
「ねえ? って。ビビ……あんたどっちの味方よ」
「あれ? えへへ……」
恥かしそうに苦笑いを浮かべるのはこの国のお姫様、ビビ姫。以前介抱したのがきっかけで友達になったのだ。時々こうしてお城を抜け出して風車を手伝いに――失敗ばかりだが、本人はそう思っている――来ているのであった。
「残念。そんなんじゃないわよ。ちょ〜っと借りがあってね。フフフ……」
「恐えェおナミちゃんもステキさ、メロリン」
目がハートマークのサンジは舞い上がり、他のメンバーは顔をサッと青くした。
おナミが眉間にしわを寄せて「フフフ」と笑う日にはろくな事が起こらないからだ。
「あ――でも、もしかしたら……」
ポツリと呟いたビビの言葉はナミに少しの期待を持たせる。
「なんでもいいの、知らない?」
「あ、え、いえ、その……思い違いだったみたい。ごめんなさい、ナミさん」
しゅんと残念そうに答えるビビだったがナミにはピンと直感が働いた。
(何か知ってる――わね、あの態度)
でもビビの性格からして一度決めた事を覆さないのを知っている。清楚で淑(しと)やかな外見とは違い、我が国のお姫様は頑固者なのである。
口が堅いお姫様にどうやって口を割らせるか、明晰(めいせき)な頭脳を回転させていたナミに朗報がもたらされた。
「あ、思いだした。そういやさっき遭(あ)ったんだった」
ニシシと悪びれず笑う親分にナミはニコリと微笑む。
「初めから言わんかい!」
風車特別メニューの拳がうなったのは語らぬまでもない。
つづく
*お坊さんに対して他意はありません。小説の中の表現として失礼な表現があるかもしれませんが。
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