「おじさん! 今ここに行脚僧が居たって聴いたんだけど、どこ!?」

 バタバタバタと鼻緒が切れるんじゃないかと思うくらいの勢いで駆け込んできた少女は上目遣いに尋ねた。

 目が血走っていて恐い。子供が見たら夜独りで厠に行けないこと間違いなしだ。
 
 ぜえぜえと肩で息を吸い込み、片手を屋台についてもたれかかっているおナミの姿に蕎麦屋のおやじは目を丸くして驚いた。驚きのあまり言葉をなくしていたが返事を待っているのだと気づき慌てて答えてやった。

「い、今さっきまでここで寝てたんだが……一足違いだね。それにしても……どうしたんだい? おナミちゃん、最近有名だよ『風車の美人主人おナミ、銭を捨て、男を追っかける!』って。でも、本当だったとは。いやいや、おナミちゃんも水臭いな〜いい人がいるなら教えてくれればいいのに、あっはっはっは」

「はあ? なんだって、ん、っく、く、苦しい……のどつまった。おっちゃんお水、お水頂戴!」

「え、あ、ほら。ちょっと落ちついたらどうだね、そんなに慌てなくても坊さんは逃げないよ」

 有り難うと水を受け取り、ゴクゴク咽をならして一気に飲み干した。

「くは〜生きかえるわ〜」

「やっと身を固める決心でもしたのかい?」

 ニコニコ顔で聴いてくる主人にナミは「え、なんのこと?」ととぼけた風もなく、疑問を浮かべる。

「だって、男ったってお坊さんじゃない。誰が好き好んで坊主追いかけるもんですかっての。貸したツケがあるの、だから集金よ、集金。そんな色めいた話しじゃないわ」

 行脚僧と入れ違いになってしまったという事実に気づいたおナミは蕎麦屋の主人に「じゃ、またね」と言って現れた時と同様に騒がしく去っていった。

 嵐が去った後のような静けさが訪れて、蕎麦屋の主人はくっくっくとポリポリ頭をかいた。

「逃げてるようには見えなかったんだがな……あのお坊さん」












  











「口惜しいったらないわ。どうしていつも入れ違いなのかしら! 避けられてるとしか思えないわね、まったく」

 春麗(うら)らかな昼下がり、一番の稼ぎ時も過ぎて風車の女主人、おナミは今日ももう何度目かの敗北を味わっていた。店の中には馴染みの客しかおらず気をつかう間柄でもなかったので、おナミは机の上に腕を投げだしビビに愚痴っていた。

 口から毒でも出しそうな不機嫌さにビビはナミの目の前に半笑いでお茶を出す。と自らも向かい側に腰を降ろし当り障りなく尋ねてみた。

「そのお坊さんをどうして追いかけるんです?」

「え? ああ、貸しがあるのよ、貸しが。見つけて倍返しで利子を頂かないと、ね。フフフ……」

「お、おナミさんから貸しを作るなんてなんて無謀な……あ、いえ、な、なんでもないです。何も言ってませんってば! だからそんな恐い顔で睨まないで下さいよー」

 ブンブンと顔の前で手を振り涙ぐむビビにおナミは半眼でアハハと乾いた笑いをもらす。

「そんなに脅(おび)えなくても。あ、そうだ! ねえビビ〜どうして私が利子を頂く事になったか聞きたくな〜い?」

「き、聞きたいですけど……なんだかヤな予感がするんですけど」

「そんな事ないのよー。ただね、説明するからビビの所の忍貸してほしいなーって」

 おナミの話が終わらないうちにビビが途端に慌てた顔で言い繕(つくろ)う。ビビの忍――というのはビビ付の忍という事で、ビビは何を隠そうこの国のお姫様なのである。姫だとごく一部の人にバレても、時々こうして風車を手伝ってくれている(迷惑をかける回数はだいぶ減ったらしい)何とも庶民にすんなり溶け込んでいる――言いかえれば、変わっている姫だった。

 そのビビつきの忍を借りたいなどと気軽に言えるのはおナミだからこそ、だろうか。

「ダメったらダメです! いくら私付の忍だっていったって任務が『姫付』な訳で、私に忠誠を誓ってるって訳じゃないんです! だから勝手に言いつけなどできませんよ、諦めて下さい。あ、そうだ、忍は勝手に使えませんけど、私でよければ行脚僧探すの手伝いましょうか?」

 一人でアタフタする姫様の姿におナミはくすりとなんだか可笑しくなる。

 そんな必死に弁解しなくても戯言だったのに。

 素直よね、ビビって。ウソつくとすぐ顔にでるし、……そういえば前に行脚僧の話になった時、ビビは思い当たる節がありそうな態度を取っていたっけ。きっと何かしってても、姫の立場を優先させて黙ってたのね――この子なら考えそうな事だわ。

 おナミは声には出さず内心で呟く。

 どうビビをやり込めようか考えあぐねていた時、ビビの後ろから女性の声が聞こえた。


「あら、私は協力してもいいわよ」


 聞いた事のない声だ。
 
 それよりむしろ、誰もいなかったと思ってたのに。いつの間に入ってきたんだろう。

 おナミが首を傾げていると、ビビの顔がみるみる青ざめていく。

「あれ、ビビどうしたの?」

「ええっ、私が可笑しいなんてそんな事ない、わ……。ただ後ろを見たくないだけ……かしら」

「後ろ? あ、お客さん気がつかなくてごめんなさい。つい喋りこんじゃって、何にしましょう?」

 ビビの驚いた表情につられて後ろを振り返ると、いつの間にか女性の客が席についていた。先ほどは声を聞いて本当にいるものかと訝(いぶか)ったが、実際視界に捉えて見ると幽霊の類(たぐい)ではなく人であった。濡(ぬ)れば色の髪が美しい鼻筋の通った女性がちょうどおナミの真後ろに座っていた。ふんわりと笑う表情は、少女というより大人の女性の雰囲気を匂わせている。

 して、おナミは女性に気づくと慌てて注文を取ろうと立ち上がった。

 が、それを片手で制した女はニッコリと微笑み、

「注文は結構、はじめからずっといたから。ああ、でも。あなたとこうして面と向かって話しをするのは初めてかしら、私はビビ姫付の忍――ロビン。うふ、以後お見知りおきを」

「はあ……。――……え、ええっ? 忍?」

「そう、忍。本当は秘密なんだけど、風車の皆さんには姫がお世話になっているし。秘密よ、秘密。それに以前のように勝手に行方をくらまされないよう影から姫をお守りしているのよ」

 おナミの目の前でユラユラと笹の葉が自称忍の言葉と同じ速度で左右に揺れている。

 どこから持ち出したのだろうか、先ほどまで手には何も持ってなかったというのに。訳がわからず葉を目で追うだけしかできないおナミだったが、次の瞬間には葉っぱが2枚に増え、そして1枚に戻るのを繰り返し見ていると、とてもじゃないが人間技とは思えなかった。忍だという事も渋々ながら肯ける気がする。


(だって普通の人間は葉っぱを増やしたり、減らしたりなんて簡単に出来ないわ! 変な人って事は決まりね。それに……ビビの知り合いって事は事実みたいだし。あの子の顔みれば一目瞭然(いちもくりょうぜん)よ!すぐ顔に出るからわからない方が鈍感。『会いたくなかったけど、知り合いなんです……』って大きな文字で書いてあるように私には見えるわよ)


 しかし、こういうニコニコしているタイプは怒らせると自分より数倍恐ろしい事を知っているおナミは、恐る恐るといった風に、でもニッコリと手を差し伸べた。

「よろしく、ロビン」

「あら、驚かないのね。驚く方に銀貨1枚賭けてたのに……残念ね」

「残念ね……じゃない! 勝手に人を賭け事の対象にしないの! 賭ける時はちゃんと私に言ってよねーじゃないと私が賭けられないじゃない」

「それもそうね、今度から気をつけるわ」

 フフフフ、とお互い腹黒い部分を隠しての会話にお姫様のビビはブルっと身震(みぶる)いした。おろおろしている。

 まるで冷気が漂ってくるようで背筋が凍る思いだ。

 口を挟めば害が及ぶ事はわかっていたが、ビビは口を挟めずにはいられなかった。誰かがやらなければ進まない。それを自ら買って出るのが、ビビたるゆえんだろう。

 先ほどまでの戸惑った態度とは一変し、毅然(きぜん)とした口調で――姫としての顔だ――

「ロビン、恩人のおナミさんに向って口が過ぎます。おナミさん、この者は自身が明かした通り私つきの忍のロビンといいます。気に触ったならごめんなさい、でも悪気は無いんです」

 と説明した。

 しゅんとしたビビにおナミはくすりと快活(かいかつ)に笑って

「なに気にしてんのよ、わかってるって。わざと私を怒らすような事を言ってビビに近づく人柄を試して確認してるんでしょう? それくらい承知よ、承知。なんたってビビはお姫様だもんね。姫を守るのも忍の役目だろうし!」

「おナミさん」

 ここまでロビンの事を理解してくれる人に会ったのは初めてだと言わんばかりに感動したビビは両手を硬く組んで祈るような姿で、目に涙を浮かべて、頭の回転が速いおナミに感謝した。

 だが、ロビンの返答は素っ気ないもので。

「あら、賭けの話本当よ」

 あくまでニコニコとした表情を崩さないロビンと、なんですってー! と叫ぶおナミの声が5軒隣りまで聞こえたという事は後に回覧版で明かになる。





                     ◇◆◇





「で、話を元に戻すけど。行脚僧の事知ってるって?」

「ええ、協力してもいいわ」

「見返りは?」

「あら、そんな見返りを求めるように見えて? 常々姫がお世話になってるんですもの、これくらいの情報は取引きの材料にもならないわ。だから見返りはなし、……ああ、でも私も時々ここでお話に参加していいかしら?」

「タダに勝るものはなし、ってね。いいわ、話に加わりたいのね、取引き完了よ」

 パチンと指を鳴らして取引き完了の合図とした。

 忍を雇うとなるととてもじゃないが庶民の出す銭では足りない。忍の人数が限られているのと、確実な仕事をこなす事から忍を雇いたいという人間が尽きないからだ。貴重な存在ともいえる。だから姫つきの忍がいるという事実がビビを姫だと証明する一つとなっている。姫を守る、と言う事は必然優秀な忍でないとお役目は勤まらない。以前のように掴まえられて身の危険に晒(さら)されるこにならないように、護衛も兼ねているからだった。

 忍の世界では情報もまた、大切なもので、偽りがあってはならない。との暗黙の了解がある。時と場合によるが忍にとって偽りを伝える事は恥と世間では思われているからだ。もちろん、わざと偽りを伝える外人(げにん)――世の理から外れた人をさす――という仕事を受け持つ忍も存在するが。

 ロビンは主――ビビ――の了解を得て、行脚僧の事を話し始めた。

「行脚僧の居所、だったわね。――私は姫が安全に町中(まちなか)を歩けるように、姫がいつも出かける前に先へと下見に行くの。そこで行脚僧を見かけるわ。いつも、ね。そう、何度も何度も。偶然にしては出来すぎてるでしょ?」

「ビビの行く先に、あの行脚僧が? ……どうして」

「あなたは追ってるつもりでも、向こうに追われてると考えられないかしら?」

「そんな! またビビが命を狙われてるって事? そんな、だって以前ビビの事助けてくれたんでしょう? 今になって再び狙う意図がわからないわ」

「あなたにわからなくても、向こうには理由があるのではなくて」

 人差し指を口へ持っていき、軽くあま噛みする。そしてジッと深く考え込んで集中してしまうと、おナミは周りが気にならない。ロビンの言葉を反芻(はんすう)し、何度追いかけても捕まらない訳をもう一度よく考えてみた。

 見つけようと、1日中探し回ったがもう何日も見つけられない。と、言う事はロビンのいう通りまたビビを狙っていないとも限らないのだ。ウサギを捕まえようとして自分が罠にはまっていたという訳か、と考えるとおナミは苦い感情が胸に浮かんだ。

(あの行脚僧をいいやつだと思った自分が善人すぎたのかしら、嫌になるわね。人を見る目がなくて困るのよ)





 そうしておナミは行脚僧との2度目に出くわした時の事を思い出していた。














つづく

*お坊さんに対して他意はありません。小説の中の表現として失礼な表現があるかもしれませんが(汗)


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