『覚えててほしかった……他のヤツを忘れたとしても。

 おれだけは……

 たとえそれがワガママだとしても。

 ――顔を覚えてても違う名前で呼ばれた。

 はじめは誰を見て言ってるのかわからなかったけどよ――

 そんな頬を染めて違う男の名前を呼ぶな』






 代償3
 (2004年ゾロ・チョパ誕生日企画。事前アンケート)




 記憶を失ってからのナミの行動は周囲の目から見て、怖いくらいにいたって普通だった。

 普段とかわることもなく、一瞬記憶の障害がないような印象を周りの人間に与えてしまうほどに。

 しかし、その実ナミは毎日身を削る思いでなにげない行動にも気をつけていた。


 ちょっとした仕草、喋り方、歩きかた――


 記憶に障害があると乗組員に知られる訳にはいかない。

 けれどナミ意外のクルーは全員チョッパーにナミが記憶障害の可能性がある≠ニ聞いている。

 そう、ナミは周囲の人間がナミに記憶障害があるとよもや周知の事実だという事を知らなかった。

 知らない顔ぶればかりの中で毎日を過ごす事に戸惑いを感じる間もなく、その場の環境にナミ自身があわせる。

 ――それが今まで生きてきたナミの術(すべ)だった。

 もし戸惑っていることを悟られて、その隙をつかれて攻撃されでもしたら、死んでしまうことだって大げさだと笑えない。

 荒くれ者の海賊船の中にいるのだ――いくら今乗っている船の乗組員が全員笑顔を浮かべていようともだ――いかなる時も気を許してはいけない。



 そうやって気を張るのも大変な事だったが、唯一ナミの心の休まる拠り所たる男がいた。


 以前狂おしいほどに追い求めた男。

 いや、その男によく似た男――というべきか。

 知り合いに似ていると思った男――たしか名前はロロノア・ゾロだったろうか? 

 彼の姿を見るたびに、知り合いの名前をつい口にしてしまう。気をつけてはいるのだけれど。

「ヨーガ――」

 あのね、と続きを話そうとすると、

「…………」

 ロロノアという男は無言でナミを睨む。そんな名前ではない、との意思表示だった。

 以前は何度か「違う」と訂正もしてくれたが――最近では間違って呼ぶ名前に苛立(いらだ)ちが募(つの)るのか、訂正もしなくなった。


 ただ睨むだけ。

 けれど、ただ睨まれるだけなのに辛い。
 
 それにただ睨まれてるだけじゃなくて、ロロノアをヨーガと間違える度、彼の顔に青筋が増えていくようにみえる。

 太陽が昇って、日が落ちて1日が終わる。寝て、次の日起きると、彼の顔は以前知り合った人――ヨーガに重なって見える。


 見間違える。

 見間違えていいわけないのに。




 好きだった相手を――




 ロロノア・ゾロと視線が絡むと、息苦しくて、何か言わなきゃいわないけど、言えない目があった瞬間、ついナミから視線をプイとそらせてしまう。

 まるで恋する乙女のようで……そんなのわたしのスタイルじゃないわよ!

 泥棒ナミさんの名が廃るってものよ、まったく。

 何度と自らを叱咤(しった)しても、その癖(くせ)だけは直らない。

 好きだった相手を見間違えて、なおかつ名前まで口にしてしまう。そんな事ではロロノア・ゾロに対して警戒心ばかりを与えてしまい仕事がやりにくくなる。

 
 ――そう、仕事。

 忘れてはいけない、私の仕事。

 誰にもその邪魔はさせない。

 なぜなら、

 私は泥棒。


 仕事、泥棒、自分はプロ。

 言葉を、単語を頭の中で繰り返し、繰り返し呟く。

 そう、自分はプロだ。目的を遂行しなければならない。

 たかが恋などで自分の仕事に手がつけられなくなんて――


 それはプロとはいえない。

 たかが泥棒にプロ意識を高めてもねえ? と揶揄(やゆ)する言葉も頭に浮かんだが、それをいってはおしまいだ。

 
 割り切らなければ。


 たかが、恋。

 でも……



 


 たかが、恋――されど、恋。




 そう考える度、ナミは海図を描く手を休めてぼーっと視線を宙に投げる。

 現在女部屋にはナミ独り。ロビンはいない。

 女部屋はロビンとかいうもう一人の女の人と共同で使っていた。別に2人でいて気まずいことはなかったが、他の男共といるよりなぜか神経を擦り減らせている自分に驚く。

 見た目優しいお姉さまなのに。

 しかし、不安感に苛(さいな)まれる。

 なのでナミはロビンと出会わないように時間を見計らって海図を描いていた。
 
「どうして、あー疲れる」

 ままならない自分の言動にボソリと溜息(ためいき)まじりにぼやく。

 と、明快な声がノックと共に聞こえてきた。

「ナミすわ〜ん。お茶おかがっすか〜? 愛の貴公子、サンジ君ですよ〜」

(また、やっかいなのが来た……)

 こんなやりとりもほどほど飽きてきた。

 初めは姫のように、スターのようにもてはやされても、それが一時間毎(ごと)に毎日続けられるとうっとおしい。

 そんな時ロビンだと、辟易しているナミをよそにロビンはサンジの扱い方になれているのか
 
 「ありがとう」、ニッコリ。でことが足りるらしかった。


 以前の自分ならサンジのような男をどうあしらっていたのだろうか?


 ……考えてみてもわからない。

 いや、思い出せないのか。

 イライラする。

 ナミの左手の親指のツメが日に日に歯型を残して減っていく。

「ナミさん?」

 いっこうに返事がないので心配したのだろうか、はいるよ、と言ってサンジがコーヒーをのせたトレイ片手に階段を下ってきた。

 ハッとして噛んでいた指を放す。

「……コーヒーここにおいて大丈夫ですか?」

 ツメを噛んでいたことには触れず、机を指で指して示す。

 ナミにはその不自然さが気に食わなかった。

「聞かないの、理由?」

「聞かれたくないんでしょう?」

「でも、見たんでしょ?」

「ツメのこと?」

 疑問だけで交わされるやりとり。

 その不毛さに、ナミは一層腹が立った。例えそれが八つ当たりだとわかっていても、止められない。

 怒気(どき)をはらんだ顔でサンジを見据(みす)える。

 それに対してサンジはトレイを床に置いて、取り繕った笑顔をやめて、そして申し訳なさそうに

「悪かったよ」

「なにが?」

 真っすぐ絡みつく視線は熱い。

 ナミは咄嗟(とっさ)にとぼけてみせたが、反省の内容が自分の記憶に関しているのだと悟った。

「記憶がなくて不安なんだろう?」

 ズバリ的をつかれて、ナミは唇を噛む。

「やめるんだ、ナミさん!」

 噛んで血のにじんでいた唇を唇をもってムリヤリ開かされる。

「そんな自分を傷つけなくていい――俺が悪いんだから」

 ナミの血がサンジの唇について、一瞬彼の口まで噛み切ったのかと思った。



 唐突に――……


『おれの口噛んで血を流させるとは……考えたな、惚(ほ)れた』


 恥かしげもなく言ってのけた遠い記憶の男の声がした。



 思い出したくもないのに。

 いま、こんな状況で思い出すなんて……。

 記憶とは、ままならないものだと知る。

 サッと思考をさえぎるように、サンジが

「ナミさんが知らない、いや、忘れてることを伝えるよ」

 有り難い。こんな言葉は忘れたかったのに、都合の悪い記憶ばかりを思い出すような気がする。

 でも教えてくれるというのなら、

 迷わない本当の記憶が知りたい。

 余計なことを考えなくてもよい記憶を。

 記憶のないことに同情されて、「優しいウソ」は聞きたくなかった。

 

 ならば、骨抜きにしてしまうのが一番だ、とナミは思う。

「じゃあ……ベッドで教えてくれる?」

 艶やかな顔で笑む。

 











つづく


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