『泣くなよ……。

 どうしたんだ? つらいことでもあったか? 

 何でも聞くから……話したいと思ったら、話してくれ。

 そばにいる。

 ずっと、そばにいるから。

 な、だから泣きやんで……ナミ』





08 昼下がりの窓べに歌う小鳥
(ゾロ誕アンケート第一位「姉弟」)







 小鳥がさえずり、朝日が頬をさす。雲間から見える太陽はまぶしいくらいだった。

 眠っていたナミは窓の外から聞こえる歌声で目がさめた。

 歌う、というより口ずさむ程度の音量であったため、近所迷惑にはならないだろう。

 低音で、深みのある歌声。温かみのある声は聞く者を自然と引きつけた。

(誰かしら?)

 診察台からゆっくりと上半身を起こす。

(体が重い。それにだるいし)

 ナミが顔を辛そうにゆがめた。それもそうだろう、ナミは昨夜路上で倒れたのだから。


 ナミは診察台をズルズルとはうようにして、近くにある窓ににじりよる。

 そして、こっそりと伺うようにして窓を少し開けて、ゾロのいる場所を見た。

『What was found when young. It was……』

(え、英語? ゾ、ゾロ?)

 ナミは目を見開いて驚いた。

「幼い頃に見つけたもの。それは……」

 ぽつりとナミはゾロを見つめたまま翻訳した。

 窓の外、今ナミがいる建物の中庭だろう、そこに、ズボンのポケットに両手をつっこんだゾロが立っている。

 太陽をにらむように見上げて、地面を向いては口ずさんでいた。

 それを繰り返す。

 どうしてゾロが? ゾロの歌う声を初めて聞いたナミは、心底驚いた。ゾロと歌というのが、どうしても結びつかなかったから。

 だが、自然とナミはゾロの歌声に惹かれていく。

(綺麗)

 ナミはゾロを見て、歌を聞いて、そう思った。

『It was your smiling face. Only I found it. The moment to a smiling face is only my thing. Young recollections……』

「それは君の笑顔だったんだ。ぼくだけが見つけた。その瞬間から笑顔はぼくだけのもの。幼い思い出」

 ナミは英語をすぐさま訳す。

 ゾロの呟きを追うように、遅れないようにと、自然と口をついていた。


 光を浴びるゾロの顔はりりしくて、鋭い。

 けれど、それとは反対に地面に視線を落とすときには、まるで泣いていると錯覚させるように辛くて苦しそうだ。

 窓に張り付くようにして見ていたナミは、ゾロに悟られないように、しかし、心配気にのぞきこむ。

 ゾロからつむがれる歌は、普段の彼からは想像もつかないほど繊細で、細いものだった。

 折れてしまいそうな、弱々しい表情。

(ゾロが歌うのにも驚いたけど、あんな表情初めて見た)

「どう、したの?」

 ナミの優しい問いかけは、むなしく診察室に響く。

「…………」

 その場にナミしかおらず、ゾロに語りかけたとしても診察室からゾロのいる中庭に、声が届くはずもなく。

 まして、ナミは建物の中にいる。

 声が届かないとわかっていても、窓越しに呟いているとわかっていても、ナミには声をかけずにはいられなかった。

 ゾロの表情に声をかけずにいられない思いがあったから。

(いますぐゾロの元へ行って、なぐさめたい)

 そう思って、ぐいと体を窓から引き離して、診察台を支えに立ち上がる。

 立ち上がろうとした。が、

「っつ、痛い」

 先ほどまで倒れて寝かされていたナミにとって、急に立ち上がろうとするには無理があった。

「う、うっ」

 体が重い。ぷるぷると震える手を支えにして、再度立ち上がろうとする。

 けれど、

「だ、だめ。思うようにいかないわ」

 ままならない体にナミは苦虫をつぶした顔になる。

 ベットからすら立ち上がれない自分の体では、ゾロのいる中庭らしい所まではとてもじゃないが行けない。もし、無理に進んでも、またゾロに余計な面倒をかけることになる。

 それはダメだ。

 ならばどうすればいいのか。

 中庭に行くのは諦めて、窓からこっそり見る。それしかない。

 その結論に至ったナミは、またズルズルとベットをはうようにして、窓に張り付いた。

 泣きそうな顔のゾロが心配で、ナミは必死だった。

 ナミはすぐにゾロを視線の端にとらえる。

 ゾロは先ほどの場所から動いておらず、天地を交互に見ては、歌をつむいでいた。

『He grew up and met you again. And the gear turns. Because, it is since he met you. Moreover, I thought that the smiling face was able to be seen……』

 辛そうに、苦しそうに、ゾロは歌う。

 心地よい低音から、男の人の音域としては高い声まで。巧みに歌う。

 窓にすがりつくようにしていたナミは

「成長して再び会った。そして歯車は回る。なぜならきみと会ったから。またその笑顔を見れたと思った」

 訳しながら、先ほど訳した内容をつなげて訳してみた。

「……幼い頃に見つけたもの……それは君の笑顔だったんだ。ぼくだけが見つけた。その瞬間から笑顔はぼくだけのもの。幼い思い出……成長して再び会った。そして歯車は回る。なぜならきみと会ったから。またその笑顔を見れたと思った……」

 言葉を噛みしめるようにいう。

「幼い頃……幼い……」
 
 幼い頃のことを歌うゾロ。そのわけをナミは考える。

 幼い思い出。

 成長して再び会った。

 などという単語から、ゾロは自身のことを連想して歌っているのだろう。

(幼い頃か……そういえば、ゾロに初めて会ったとき、私泣いてたっけ)

『泣くなよ……。おれ女が泣くと、どうしたらいいかわかんねェんだ。どうしたんだ? つらいことでもあったか?』

 幼い頃、

 ゾロに突然話し掛けられたナミは

『え? …………』

 言葉を返さなかった。

 幼い頃のナミは無口で、今からは想像もできないほどだった。ゾロに会ってから変わったと道場の先生は言ってたけど。

『何でも聞くから……話したいと思ったら、話してくれ』

 そう言ってドカっとナミの隣りに腰をおろしたゾロは、えぐえぐと泣くナミのそばに何時間もいてくれた。

 しばらくして。

 ゾロに話し掛けられた時は、お空は太陽がでていたのに、今ではすっかり夕日に変わっていた。

 おかしいな、さっきまでお昼だったのに。ナミは伏せていた顔をあげて、そう思った。

『話してくれるのか?』

 眠そうな声がナミにかけられる。

 誰だろう? 

 ……あ、さっき声かけてきた子だ。

 ナミは勇気をふりしぼって、だが、小声で

『ずっと……そばにいてくれたの?』

『ん? あたりめェだろ。何でも聞くっていったろ? 約束したじゃねェか』

『……そっか。ねえ、何ていう名前?』

『あ、名前言ってなかったな。おれの名前はロロノア・ゾロだ。おまえは?』

『……ナミ』

 ずっと文句もいわずに、そばにいてくれた少年のことが、ナミにはとても嬉しかった。

  また、涙がとめどなくあふれた。

『そばにいる。ずっと、そばにいるから。な、だから泣きやんで……ナミ』

 ゾロの優しい声がナミにはとても嬉しかった。



 それからしばらくして、ナミが通っていた道場にゾロも通うことになったと聞いた。
 
 ナミに初めて会った日は、道場の申し込みにきていたらしい。

 その後何年かは腐れ縁で、一緒に遊んだりもしたが、4つも歳が離れていて、学年の差もひらくにつれ2人の接点は薄れていった。

 またその後10年ぶりぐらいに会った時――ホテルで初めてお互いの家族との顔合わせをしたとき、どんなに気まずかったか。

 今となっては、それも懐かしい思いでだったが。

 小さい頃のゾロのことを思い出して、ナミはくつくつと嬉しそうに笑う。





『But I have broken the smiling face.
A cause is known somehow. I do not think it cowardly to have kept silent about it. Since it thinks that it is a means for being in a side.』

 思いを過去へとはせるナミに、中庭にいるゾロの歌の続きは聞こえていなかった。

 幼い頃とは違い、高校生のゾロの表情は、死んだ魚の目のようにうつろだった。





 だから、ナミには最後のフレーズを訳せない。

 ゾロの最後の呟きは

――――だが笑顔をぼくは壊してしまった。原因はなんとなくわかる。それを黙っていることは卑怯だとは思わない。傍にいるための手段だと思うから。








おわり

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