『ナミ、と呼び捨てで呼べた幼い自分。

 ただただ無邪気に呼んでいた。

 あの時のままならよかったのだろうか?

 この質問を何度繰り返しただろう……。

 答えは決まっているのに。


 あの時の子供のままでは何もできない。あなたを守ることも、労わることも。

 だけど、どうすればいいのか、今はそれが幼い頃よりはわかってるんだ。

 高校生のおれが手をこまねいていたら、幼い自分に「おれより大人なんだろう、動け!」 と怒られるだろう。

 だってよ……大切な人を守る術を知ったから』


07 やみあがりのあめ
(ゾロ誕アンケート第一位「姉弟」)







 ナミがバイト帰りに路上で倒れたのが昨夜。

 昨夜ゾロは通りすがりの子供――チョッパーのことだ――が連絡をもらってゾロはナミの元へとかけた。うっすらと意識のあるナミを大事に抱いて、そのままバイクにまたがりかかりつけの病院へと急いだ。

『過労だね。目の下にクマができてるだろ? それにあまり食べてないだろうよ、この娘』
 
 昔からゾロがお世話になっているドクターくれはの元に駆け込んだのだったが、久しぶりにあった――ゾロは昔からよく怪我をしていたが、大抵親に連れられてきたため自分から病院に決して行かないゾロは最近病院のお世話にはなっていない。『これくらいなら、寝れば治るな、うん』と勝手に思い込んでいたためだ――ドクターくれはは値踏みするようにナミを見てそう言った。

 ナミを診察台に寝かせて、ドクターは栄養剤を打ってくれた。

 それを祈る気持ちで見つめていたゾロに、くれはキッと眉間にしわを寄せて小さな声で、だがハッキリと告げる。

『くそガキ、あんたは男だからって台所に立たなくていいってわけじゃないんだ、おまえの姉だろぅ、しっかり食事くらい管理しときな!』

 両親が再婚記念旅行に出かける際に健康診断をドクターくれはにお願いしていたため、ドクターはゾロとナミが姉弟だということを知っている数少ない一人だ。

 ゾロは拳を静かに握りしめて、

『……はい』

『そして夜中にあたしに迷惑かけんじゃないよ、まったく』

『……すみません』

 ただすまなさそうに打ちひしがれるゾロに、ドクターくれはは、おや? と首を傾げる。

 以前なら夜中であれ早朝であれドクターを叩き起こしても、ゾロはこのように真摯(しんし)に謝ったことはなかった。一応照れくさそうに「ありがとよ」とはいうことはあっても。

 なにがガキを変えたのかね? 

 ――このガキも今じゃ高校生、小学生のときとは違う、とかかね?

 ドクターが険しい顔のまま口には出さないで考える。

 そこでふとゾロに視線をやると

(おや? なんだい、そういうことか。こいつも一丁前に男ってわけかい)

 ドクターは悟ったように、一人ニヤニヤと頷いた。

 ドクターが見たものは、

 診察台から垂れ下がったナミの手を両手で包むようにして硬く握るゾロだった。

 その顔はいまにも泣きそうで、ナミをいかに心配してるかがよくわかる。

 ゾロの顔は姉を心配する弟の顔ではなく、一人の女を心配する男の顔つきだった。

 いかにゾロがナミを大事にしているかがうかがえる。

(そんなに大事なら倒れる前にちゃんと面倒見ときな! って言いたいところだけど。ま、ガキも反省してるみたいだし、黙っといてやるかね)

 ドクターは沈痛な顔をしたゾロに、ぶっきらぼうだが、彼女なりの優しい声で

『きょうはここに泊まりな』

『わりィな。……おれもいていいか?』

 ゾロの口調は普段どおりに戻っていた。自分も病院に留まりたいことを告げる。

「優しくすると、これだ。だからガキは嫌いだよ」ドクターは言葉にはださなかったが、かわりに頷くことでゾロの宿泊を許可した。

 ドクターくれはは眠たそうにあくびをして、自室へ引き上げるべくきびすを返すが、思い出したように

『泊まってもいいけどね、襲うなら家に帰ってからにしな』

 とだけ言い残して自宅のある離れに戻って行った。

 昔から怪我をしては親に連れられてやってきていたガキ――ゾロ――のことをドクターは嫌いではなかった。

 無駄に余計なことを言わないゾロのことを可愛がっていたからだ。

 最後の一言は、数年ぶりに会ったドクターなりのコミュニケーションだった。

『誰が襲うか!』

 という声は、ドクターくれはがいなくなってしばらくしてから出た言葉となった。

 すぐに何か言い返そうと思ったが、頭が真っ白になったゾロに反撃の言葉が浮かばなかったからだ。

『ったく……あのバアさんには口では勝てねてな』

 ハハと引きつった顔でいうが、その実感謝していた。

 
 

 倒れたナミをドクターの診察室で寝かせてから少し時間がたった頃、ナミは苦しそうにうなり出した。

 苦しそうな吐息を弱々しく吐き出す。

 そのたびにゾロは強くナミの手を強く握る。そして

『大丈夫……大丈夫……』

『そばにいるから』

 とまるで子供にいい聞かすように優しくナミに話した。

 一方的なしゃべりだったが、ゾロは答えを期待していない。

『…………ごめんな』

 働きすぎだとわかっていたはずなのに、ナミの「大丈夫だから」という言葉を素直に信じてしまった。素直すぎてムリをさせてしまった。

 寝ることを惜しんでも、今はナミの手を握って傍にいてやりたかった。

 たとえそれが自己満足だとわかっていても。

 ゾロは重々しい声で話す。

『本当は……ナミさんがムリしてるって知ってた。それに……なんとなく、ナミさんがおれとの距離をおこうとしてたことも……知ってる。気がつかない振りをすれば、普段どおりのナミさんで話しかけてくれるって思ったんだ。わがまま言ってごめん……おれには傍にいることで守るしか方法がわからない。だから、もう少し気づかない振りしてもいいよな?』

 ナミに語りかけられた声は、むなしく広がった。



 しばらくして、温かい手に安心したのか、ナミは時間と共に落ち着いていた。

 ゾロはスウスウと安らいだ寝息をたてているナミを見て、ホッと安堵する。

 先ほどまで息苦しそうにうなっていたナミをゾロは一心に看護していた。

「ナミさん……ごめん」

 そう言って、ギュっとナミの手をにぎり、やっと寝ついたナミを起こさないように、ぼそぼそと小声でつぶやく。

「ごめん」という言葉を呪文のように繰り返し、繰り返し言い続けた。



 窓の外では小鳥のさえずりが聞こえた。

 もう日が昇るころだった。







おわり


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