『いつから ”ねえさん” って呼ぶようになって、いつから ”ナミ” って呼び捨てで呼ばなくなったんだっけ……』






01 雨がふたりを億劫にする
  (ゾロ誕アンケート一位「姉弟」より)






 ジメジメとした雨がもう三日も続いていた。昼夜とわずに降っているものだから、気分まで重いものになってくる。

(早く部活したいぜ。退屈だな……おれは体動かすほうがしょうに合ってるっつうのに、ったくどうして雨が続くんだ?)

 肩肘をついて窓の外をげんなりといった顔で彼は見つめた。

 グランドライン高校にある教室の一角で、彼――ロロノア・ゾロは雨が続く日々に嫌気がさしていた。

 本来雨が降ってなければ4限目の授業は体育だったが、最近は雨がやまないせいで教室でビデオを見て感想を書いて提出するパターンになっている。

 ゾロは運動神経がよく、体格もいい。他の教科のように座っているだけの授業よりも、体育で体を動かすことのほうが楽しくよほど他の教科よりも集中して授業に臨めた。だから体育が好きだった。

 ロロノア・ゾロ。グランドライン高校3年であり、剣道部に所属している。自他共に厳しく、一つ下の後輩が育たなかったため今も部長であり団対戦のとり、大将を任されていた。普段は後輩達の面倒見もよく一匹狼的な雰囲気――本人はそんなつもりではなかったが――も後輩の憧れの的だったが、稽古に臨むときの姿勢は教師も一目を置くほど厳しいものであった。

 

 
 ぼーっと窓の外を眺めていたゾロに突然

「いてっ。なにする……いでで」

 気がつくと頬を軽くひねられていた。思ったより痛くなかったが、急なことなので驚きが口にでたといったところか。

 ビデオを見ていたクラスメイトが何事かと、チラチラとゾロを見る。

「静かにしなさい」

 そう言ってゾロの頬をひねった人物はパっと手を放して、他の生徒にバレないように、持っていたメモ帳に素早くササっと殴り書きをしてゾロによこした。

 くるりときびすを返して、「はい、ビデオに集中する」と言って何事もなかったようにクラスをなだめた。

 ゾロはひねられた頬をさすりながら紙に書いてある字を目で追う。

 紙には

『姉さんの授業潰すつもり? 覚えてなさいよ』

 と書かれている。

(やべぇ……。今週は姉さんが授業を受け持つって言ってたっけな……すっかり忘れてた。帰ったら怒鳴られるな、確実)

 ゾロはそっと盗み見るように、視線をメモから教卓にたつ教師に向けた。

 教卓にたつ教師は女。

 明るいみかん色の髪に、どこかあどけなさの残る大きく開かれた瞳は教師としての威厳を保つために軽く睨みつけるように細められている。
 
 少しでも威厳を保たなくては教師として示しがつかない。生徒と年の近いあの教師は緊張しているのだろう――顔には決してでてないが。

 その女は教育実習生だった。

 大学で体育学部に在籍している彼女は、かつて自身が通った高校に教育実習生として実習にきている。

 スーツに名札がついてあり、”ナミ” とかかれていた。

 ゾロの義理の姉だった。つまり、ゾロはナミの義弟。

 両親の再婚でゾロには4歳年上の義姉ができたのだった。

 ゾロとナミは両親の再婚に伴い一緒に住んでいる。

 一年ほど前に両親共々一緒に暮し始めたのだが、二人とも顔を合わせるとなぜか気まずく会話が弾まなかった。なぜなら、急に似たような年の義姉ができてどう接していいかわからないゾロと、同じく似たような年の義弟ができてどう接していいかわからないナミという組み合わせだからであった。

 同じ家に住んでいるのだから、リビングなどで嫌がおうにも顔を合わせることになる。そういう時間を重ねることによって、ゾロはナミの性格を少しづつ理解できた気がしてきた。

 きっとナミも同じであろう。

 ナミはバイトで塾教師をしているのだが、塾で教えるのと実際に単位がかかっている実習とは雰囲気が違っている――塾に体育を教える機会はなかったが――

(だから気を引き締めないと!)

 ナミは変に肩に力が入っている。

 クラスの一番後ろの席にいるゾロからでも、授業は緊張を持って! という雰囲気をまとっているナミの様子がありありと見てとれた。

(あーぁ、眉間にしわよってるぜ。普段は笑うとカワイイのに……教育実習ってのも大変だな)

 家とは違う義姉の態度に、ゾロはくつくつと声を抑えて笑った。

 子供っぽさを必死で大人の顔をしてつくろっているナミの表情が可愛かったからだった。





                    ◇◆◇





 その日はテスト期間中ということもあり、試合をひかえた部活生以外は家に帰宅することが義務づけられていた。

 だから、試合の予定もないゾロがこっそり武道場で練習していたことがナミにバレた時、授業中とのことと合わせてナミの怒りをかうことになった。
 
 説教は帰り道も続き、ナミの後ろをゆっくりとゾロが歩いて帰る順番になっていた。
 
 ズルズルと足をすねるように引きずって歩いているゾロに

「子供じゃないんだから、足を引きずらない! 悪いのはゾロでしょ? ちょっと怒ったぐらいですねないの」

 ナミの一喝がとぶ。

「あのね……姉さん。……すねてないし。ちょっと足くじいてて、地面する音が気になるなら先に帰っていいから」

「え? ちょっと見せて、足」

 ナミは言い終わらない内にさっとゾロの足を軽くつかみ、すそをまくって、骨に異常がないか筋肉を動かして確かめる。

 ゾロがとめる間もなく的確にナミは確認をすすめていく。ナミはゾロのことを本当に心配してるようで、ゾロとしては断れなかった。

 ナミのひんやりとした手が触れられると、ゾロはいちいちビクっとなる反応をナミに見えないよう隠すのに必死だった。

 一方、そんな態度にナミは気づかずお構いなしである。

 なんだかんだ言っても、自分のことを心配してくれる義姉にゾロは心が惹かれていた。

 ――好きな人に触れられると、剣道で鍛えた平常心もどこへやら。ゾロはいつも世話を焼いてくれるナミに義姉以上の気持ちがあることに最近自覚し始めた。



 それはゾロにとって大きな進歩。



 ナミへの気持ちに気づくまでずいぶん遠回りをしてしまった。

 否、気づかない振りをしていたのかもしれない。『姐弟』という壁を前にして。

 けれどここからがスタートだ。

 考え事をしていたせいで、自然とゾロはナミを見下ろす格好になっていた。

 ぶつぶつ呟いていたナミがきっとゾロの顔を見上げて

「……私の話聞いてる? そんなんだからゾロは……どこまで話たんだっけ。……えっと……そうそう、私の授業聞かないなんて、いい度胸ね? どこでも集中! いい、わかったの? ゾロ」

 文句を並べた。

「あぁ……わりィ、わりィ、わかったって」

 どうもゾロが思考にふけっていたときも、ナミはゾロに対して話しかけていたらしい。一つの返事もしないゾロに目を見て抗議しないとわかってもらえないと悟り、実行に移したのだった。

「もう、本当に手のかかる義弟君ね。はい終わり、足の方は異常なかったわよ」

「ちぇ……」

「なに?」

 義弟と改めてナミの口から言われると、言葉が重くゾロにのしかかる。

 男として見てもらえない自分が歯がゆくて、もどかしい。

 だが、こんなことで挫けてはいられない。

(まずは、おれを男だと認識してもらうことから始めないとな)

 そう考えると、まくったすそを元に戻しナミに向って、

「いや、なんでもない。ありがとうな」

 ニコっと極上の笑みを――めったに笑わないゾロ自身がそう思った――浮かべてナミに礼をいった。

 そのままナミの横を横切り、ゆっくりと家路へと歩を進める。

 少し歩いた所でナミの足音が聞こえないことを不思議に思い、首だけ後ろにめぐらしてナミの後ろ姿に

「ほら、帰ろうぜ」

 急かすように声をかけた。

 ナミは両手で頬を抑えており

「う、うん」

 とどこかうわずった声でゾロの元まで掛けてきた。

(驚いた――。あんな笑顔初めて見た……)



 正面から夕日が2人を照らす。

 ナミの頬が真っ赤だったが、それが夕日のせいかは定かではない。







おわり






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