朝起こす事、それに朝ご飯を作る事。この2つをしないだけで起床後の時間がこんなにも長いと感じのは初めてだった。
ベッドにもぐったまま頭の上にある時計の時間を確認する。いつもならそろそろ起きて大型犬――もとい、ゾロの家に行こうと動きだす時間だった。
しかし、ナミはフンと鼻をならすと再びふとんを頭まで被り直した。
普段自分の身支度(みじたく)にはあまり時間をかけないようにしているから、朝目覚めるとどうしても時間を持て余してしまう。この際時間ギリギリまでゆっくりと寝る、という事も考えたけれど3ヶ月も続けた早起きの習慣は簡単には変えられない。
ナミはゴソゴソとふとんから手だけを伸ばすと、遅めに設定しておいた目覚し時計を手に取りアラームを解除した。抱きかかえるようにして時計を持つと持て余す時間をどう有意義に使うか考えを巡らす。
「時間……もったいないわよね。早朝バイトでもしようかしら」
外では朝を告げるように小鳥が木々から慌しく飛び立つ。
鳥のさえずりでさえも、いつも通り朝のバイトに行けと促すように聞こえる。それが今のナミには不愉快に感じた。
パラレルお題:4浮気その2
海外にいるゾロのお母さんにメールを送ってから2日と経たない内に返事が届いた。
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差出人:ロロノア
署名元: xxx.xx.xx
宛先: a_mate_nami@xxx.xx.xx(ナミちゃん)
日付: 200x/xx/xx 10:56
件名: あのバカに間違っても彼女なんかできないわよ(笑)
ナミちゃん久しぶりv
さて、こちらはいい所でね、海も綺麗なの。海図を描くには至れり尽せりな環境です。長期の休みを利用して一度いらっしゃいな、ノジコちゃんも呼んだらいいわ☆
あのバカ息子はどうせこっちに来たって寝てばっかりだから呼ばないけどね。
ね、ね。
ところで、わざわざ報告有り難うね、でもぶっちゃけあの冗談みたいな話を律儀に守って3ヶ月も続けてくれてた事に驚いてます(笑) (←ごめんね〜。ほんのささいなお茶目心だったの)
そうそう。あのバカを起こしてくれる……いいえ、起こせるタフな彼女がいるわけないわよ(笑)
そんな子がいたんなら朝起こすのもその子に頼んでるだろうし(笑)
この三ヶ月の間に出来た……って事はまずないわ。
でも見かけたら内緒で教えてね!
ナミちゃんが忙しい中、愚息(ぐそく)の為に時間を割いてくれた事にとても感謝しています。だから帰国したら約束のコンパスはあげるわね。今まで渡したバイト代と食材代は正当に働いたナミちゃんの給料なので返却は結構。好きな服の一枚でも買ってね。
用事がなくてもまたメール頂戴、暇持て余してるから(笑)
じゃあねー。
ナミちゃんも体に気をつけて
ロロノア、母より
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カチカチと手元のマウスを操作してナミは返信されてきたメールの内容を気まずい気持ちで読み終えた。
「気使わせちゃった、か」
ペンをトントンと頬に当てる。どうやらバイト代と多めにもらっていた食材代は返さなくていいとわかり少しホッとする。本当におばさんはバイト代を奮発してくれてて結構な額を頂いてたから。少し罪悪感も感じるけどここは言葉に甘えてしまおう。返事はまた学校から返ってきてから書く事にして、と。
用事も済んだのでパソコンの電源を落とし身支度を整えるべく階段を下って行った。
◇◆◇
リビングからの香ばしい匂いに誘われるように、ナミはリビングに鼻をくんくんとひくつかせて入っていく。
「いい匂いね。私にも朝ご飯ちょうだい」
「あれ、ナミ――今日はゾロん所に行かないの?」
パンにバターをぬったまま姉のノジコがきょとんとした顔で聞いてきた。ナミはノジコの言葉に一瞬苦々しい表情をしたが腕を組んで視線をそらすと、
「任期終了ってところ。終わりよ、終わり」
モグモグモグ。黙ってパンを咀嚼(そしゃく)する。
ナミは沈黙を持って、「この話はしたくない」という合図を送りノジコを黙らせた。
いくつになっても相変わらずの妹の態度に苦笑しつつもノジコはナミの為にコーヒーを用意した。
◇◆◇
――――ゾロの家に朝訪ねる事をやめて丁度一週間が経ったある日。
1日の学業を終え、ナミは重い足どりを引きずりつつのっそりと玄関の扉をくぐった。
「た、ただいま……。……ん? お客さんかしら」
俯き加減だった為自然と玄関に脱がれていた見慣れない靴に気づく事ができたのだった。ノジコの靴も隣りに置いてあったので家の中にはノジコとそのお友達でもいるのだろう。
しかし、靴は靴でも男物のようで、無駄に大きい。ノジコに彼氏でもできたのだろうか、と思ったがナミが心配した事は見知らぬ人が家に居ることではなく、
(部屋に入って隣りのノジコの部屋から喘ぎ声とか聞こえてきたら嫌よねー)
などと少しズレタ感想だった。
リビングを覗いて誰も居なかったらもう一度出かけよう、と心に決めてリビングへと足を忍ばせて近づく。こそこそとしていてまるで泥棒ね、と内心溜息をついたが音をたてないようそっと
ドアノブを回す。
と――……
そこには姉のノジコの他に男が居た。
いや、正確には居るようと言った方がいいだろうか。こちらからは観葉植物が邪魔をしてソファーの下から伸びている足しか見えなかったのでそう判断するしかない。ひとまず部屋に入って隣りから喘ぎ声を聞く心配が無くなった訳で、ナミはホッと一息ついた。気持ちが弛(ゆる)んだ為だろうか、手で押さえていたドアノブをギイと音をたてて押す格好になってしまった。
「ん?」
物音に気づいて振りかえった男の顔は――――
ナミが良く見知っていた男のものだった。
「だから、どうしてアイツがここにいるのか聞いてんのよ」
ソファーに体をうずめてナミは面倒そうに姉を問いただす。
ゾロの姿を目で見て、脳で認識すると同時にくるりと体を回転させて部屋へ逃げようとしたナミを厳しい表情で咎(とが)めたのはノジコだった。
「ナミ座んな。逃げるなんて子供っぽい事しないわよね?」と。
(ノジコを怒らせるような事したつもりはないんだけど。それにしても、どうしてアイツ――ゾロがいる訳!)
見知らぬ男がゾロだと理解した時、ナミは疲れからくるイライラで、あわや言いがかりをつける所だった。
『この裏切り者!』
口から出かけた言葉を慌てて飲み込む。いくら頼まれたからといって、勝手に飼い主気分で余計なお節介をやいていたのは自分だ。それについてゾロを責めても筋違いというものだろう。
ただ――……
ゾロが知らない女と楽しげに笑顔なんか浮かべちゃって歩いてる姿を見て面白いと感じたはずはない。こんな時どんな言葉が妥当だろうかと考えた時、一つの言葉が浮かんだ。
けれどすぐに打ち消す。
『浮気? ……ううん』
『浮気』なんて言葉はお互いが恋人という前提に基づいて成り立つ言葉なのだから。ゾロと私は飼い主と犬。ただ、それだけ。
だから、『浮気』という言葉よりも『裏切られた』っていう気持ちが大きいのよ。
今まで餌(えさ)をやってた相手が実は他の家でもご飯をもらってたなんて! 裏切りよ、裏切り。他にはご飯もらえないんです、みたいな顔しちゃってさ。なによ、他にも当てがあるんじゃない、それじゃあ私がご飯やらなくても問題なし。
ナミは体を丸め、なるべくゾロの方を見ないようにしてソファーに腰をかけた。本当ならゾロの近くに座るのも嫌でたまらなかったがこれ以上ノジコを怒らせることはしたくない。
ナミが逃げないとわかって、ノジコはエプロンを外し向かいのソファーに腰をおろした。
呆れ半分、怒り半分といった口調で
「ナミ、あんたバイト『終わった』って言ってたよね」
「…………そうよ」
「じゃあどうしてこの男が毎朝何も食べず仕舞いなのよ! あんたバイト引き受けてたんじゃないの?」
「怒鳴らなくても聞こえてるわよ。でもバイトは終わったの、本当に。おばさんにも断りのメール送ったし、隣りに座っているロロノアさんには手紙で謝ったわよ。バイトが終わったんだからロロノアさんが朝ご飯食べようと食べまいと知ったことじゃないわ」
「あんたね、その手紙いつ送ったのよ?」
「一週間前ほど」
と、そこで今まで口を挟まず黙っていたゾロが一言。
「そういえば。郵便受け見てねェ」
◇◆◇
ゾロの一言から誤解が解けたかに思われたが、ノジコは依然として不機嫌なままだ。何がお気に召さないのだろうか、実の姉でも脳内までは知りようがない。ナミは無駄な時間を打破すべく一つの解決策を練った。本当ならばはっきり言わなかったアイツが原因じゃない、でも仕方ないか。ナミは、ここは自分が大人にならないと! と思い、ニッコリ――多少こめかみのあたりが引きつっていたのはご愛嬌――笑顔でゾロに話掛けた。
「ごめんね、ロロノアさん。朝のバイトやめさせてもらいます。おばさんからも許可頂きましたので、事後承諾(じごしょうだく)でごめんなさいね」
「理由…………」
「はあ? なんですか、よく聞こえなかったんですけど」
「バイトやめる理由教えてくれねェか?」
「…………っう! 所用よ、所用」
「嘘だろ」
間髪入れずに短く答える。怒りを含んだ言い方ではなかったが、短く紡がれる言葉は重い。嘘ではないのなら、ナミもすぐに言い返せただろう。しかし、本人は気づいていないが、ナミはさっさと会話を終わらせたい時や誤魔化そうとした時、語尾を2回続けて言うクセがあった。『所用よ、所用』この言葉に幼馴染み(おさななじみ)であるゾロにはすぐ嘘だとわかったのだった。
「…………」
答えられなかった。嘘だと見破られた事に対する戸惑いもあるが返す言葉も思い浮かばない。どう答えようか考えあぐねていると、ゾロが感情のない声で聞いてきた。
「男でもできたのか? だから、おれの所には――……」
「ええ、そうよ。彼氏ができたの。だからもう、アンタの所になんか行ってられないのよ!」
ゾロの声をこれ以上聞きたくないナミは荒げた声を被せる。ありもしないことがナミの口から止めどなく続いた。
感情を高ぶらせるナミとは反対に、ゾロの声に加え表情までも次第に冷めていく。
「――朝も彼氏の所に行くのか?」
「ええ、悪いかしら」
「行くな」
「なによ、アンタには関係ないでしょうが」
「寝起きの男の部屋に行くなんてバカげてるって言ってんだ。ちったー意味考えろ、バカが」
「バカバカうるさいわね。もう、契約期間は終了したのよ! 口出し無用、今すぐ帰って」
お互い一歩も引かない、といった様子で睨みをきかせている。
そこに今度は今まで黙っていたがイライラとしていたノジコが口を挟んだ。
「何、その聞くからによそよそしい口調と呼び方。『ロロノアさん』なんて、あんた一度もゾロをそう呼んだ事なかったじゃない。なによ、その嫌味ったらしい呼び方。うっとおしいったらないよ! ゾロはお客だよ、あんたの忘れたエプロン届けてくれたんだからね。だから――出ていけと言うんなら、ナミ、あんたが出ていきな。どう聞いても勝手言ってるのはあんたでしょうが。ちょっと頭冷やしてきな」
ぐいっと玄関を指で示したノジコはナミを見ようともせずに再びキッチンへ向かい夕食の準備を始めた。
バタンッ!!
ガラスが割れ落ちるかと思うような音を響かせてナミは家を出て行った。
つづく(次でラスト!)