『旅行に行くと決まってからのナミの表情はほんの少し和らいだ気がする。
今までどこか無理した笑いだったからよ。
……でも問題をないがしろにはできねェ。
おれは、おれの方法でけじめをつける』
20 僕らはまだつながっている
(ゾロ誕アンケート一位「姉弟」より)
旅行すると決まってから、ナミが張り切ってプランをたて始めた。
どうも計画するのが好きらしい。
ウキウキと楽しそうにパンフレットを眺めては「これ高いわね……うーん」などと唸(うな)ってる。
おれは行き先なんてどこでもいい。ナミと一緒にさえ行ければ……それで。
ゾロはあぐらをかいた足に肘を乗せて満足げな顔を支えている。
本人はまるで気がついていないが、その表情は相手を慈(いつく)しむものだった。
包むようにナミをジッと見つめる。
そんな表情だから、ナミが「ねえ」と顔をあげた時そのままの体勢で目を丸くしたのも無理はないだろう。
ゾロにとってなんだか感じる視線が歯がゆかったので、自分を見つめたままポカンとしているナミを訝(いぶか)しげに、ズズイと近づいて見てみる。
「な、なによ!」
ギョっとしたように驚いて後ろに下がるナミの腕をひいて
「そりゃこっちのせりふだろ。なにボーっとしてんだよ、ヘンだぞ」
「ヘンって失礼ね。あんたがそんな顔するのが悪いんでしょ」
「あァ? そんな顔ってなんだよ」
「わかんないならいいわ。宝にするから」
「は? 宝?」
(そんな可愛らしい笑顔誰にも見せるもんですか)
「ええ、お宝よ。わたしだけのね」
ナミは楽しそうに、嬉しそうにウインクを送った。
◇◆◇
そんな何気ない日々が続き、旅行当日となった。
いや、なるはずだったというべきか。
出発の早朝、まだ陽も明けきらぬ時間。暗い面持ちの青年がギィイ……とゆっくりとした動作で門を閉めて通りへと踏み出した。
頭が垂れているゆえか、表情がいまいちつかめない。いや、きっと顔をあげていても青年自身言い知れぬ不安をどうすればよいのかわからず、複雑な顔が見えたことだろう。
青年は一人で暗い道を重たい足を引きずりながら歩く。
今日は旅行へ行く予定だった。
愛する人と、もう家には戻らない気持ちを抱えて。
けれど。
一通のハガキによってそんな思いは脆(もろ)くも崩れさり、打ち砕かれた。
甘い期待と、逃げ道を。
けれどそれでよかったのかもしれない。
甘い期待を打ち砕かれ、逃げ道を塞がれたことに。
そうでないと一生触れたくないことに目を背(そむ)けていたかもしれなかったから。
一通のハガキ――
それは親からの手紙だった。もう日本に帰国していて、時差ボケを直したら近々家に帰るという内容。
その手紙が届いた日、たまたまポストをのぞいた。いつもはのぞかないポストを。その内容を読んだと同時に手でグシャリと握(にぎ)り潰(つぶ)していた。
普段と違う行い――普段はのぞかないポストをのぞいたこと――に避けられぬ必然を感じた。
あの人に見せる訳にはいかない。
あの大切な人は旅行をとても楽しみにしているのだから。だからハガキを見せるわけにはいかなかった。
再び彼のいないところで独りむせび泣くかと思うと、心が耐えられなかったからだ。
――だから寝ているナミに黙って家を出てきた。
心配するといけないから、『進路担当に呼ばれた。出発するの夜になるかもしれねェけど、待っててくれ。ついでに部活行ってくる。すまねェ』
(ナミをごまかすつもりはない。けどケリはおれがつける)
決意を秘めた彼に、青年の表情に似つかわない明るい声が背中にかけられた。
「ちょっと、下手な置手紙置いてどこいくのかしら? ……浮気だとどうなるかわかってるわよね、ゾロ」
◇◆◇
ビクっと肩を震わせてゾロは溜息ひとつ、ゆっくりと振り向いた。
やはり、というか、なんというか。そこには尊大な態度で仁王立ちして腕を組んでいるナミがいる。
ゾロは心底、相手の裏を読むことの関してナミには一生敵わないと思った。
「どうして黙って行くのよ」
「置手紙したろ」
「あんないかにもウソの下手なゾロが書きそうな手紙、誰が信じるものですか。行くんでしょ、親の所へ」
ずばりと確信をついてくる。やはりナミは聡い。ゾロは観念したように静かに答えた。
「……あァ」
じゃあ、行くわよ。とナミはゾロの手をひいて歩きだす。しかし数歩進んだ所でクルリとゾロへと振り返り、ねめつけるように
「先に言っとくけど、反対されたぐらいでわたし、あんたから離れないから。もう、ウソつくの疲れちゃったし……本当のことだけ言うわ」
「おれも……離れたくない」
ぐいっと引かれていた手を逆に引っ張って、すっぽりと抱きすくめた。
◇◆◇
ゾロとナミが手を硬く結んでハガキに書いてあったホテルの場所へと辿りついた時には、空が白み始めていた。
意を決して、寝ぼけ眼(まなこ)の両親を起こし話を聞いてもらうところまでは両親も笑顔を見せていた。
そんなに親が恋しかったのかと。それにしても仲がいいのね、と女の感だろうか、母親が繋がれたままの手を見て聞いてきた途端、空気が張り詰めたものとなったのだった。
「…………」
「あら、変なこと聞いた?」
おろおろとする母親に、ゾロは繋いだ手をいっそう握り、母親の目を見つめてきりだした。
「娘さんを下さい」
「…………え?」
間の抜けた声が部屋に響く。
「ごめんなさい。なにがなんだか……」
頭を押さえてうめく母親に、ゾロは根気よく話し始めた。
姉弟だとわかっているが、悩み抜いた末、苦しんだ末、両親に打ち明ける決心がついたこと。
ナミに対しても恥かしくて言えなかったことを切々と語った。
両親はその事に対して途中一切の口を挟まなかったが、終止苦虫を潰したような顔だった。
ゾロがしゃべっている間、ナミもまた一言も口を挟まなかったが、場に沈黙が落ちるといてもたってもいられなかったのだろう。
言葉を添えるように
「よく考えた結果なの」
それまで黙っていた母親が間髪いれずに
「でもあなた達が戸籍上義姉弟だということにかわりはないわよ。どうするの、未婚のままで一生通すつもり?」
「わかってる。でも一緒にいたいの……未婚は覚悟の上よ」
「一緒にいるだけでどうして子供が100%できないって言える?」
「そ、そんなこと……ちゃんと避妊するもの」
「それは大事なことだけど……赤ちゃんは世間に認知されないのよ。あなたたちが義姉弟である以上。誰にも認められない子をどこで育てるっていうの? どこ? 外国?」
「……山奥で育てるわ」
ゾロは口を挟まない。父親も今は難しい顔のままなりゆきに身を置いている。
一方母親はナミの答えに怒りを爆発させた。
「それでまかり通る世の中だって本気で考えてるわけじゃないでしょう! ……ナミ。あなたの反論は子供がダダをこねているようなものよ」
「それでも!」
キッと母親を睨むも、悔しそうに唇を噛む。
泣いては負ける気がした。
――世の中のあらゆる決まり事に。
――母親の強い言霊に。
――そしてなにより
ゾロとの関係を絶たれる気がした。
だから必死に歯を食いしばってナミは咆えた。
「それでも! なにを犠牲にしても、どんな代価を払っても一緒にいたいのよ! 好きなの!」
ぜえぜえと荒く息を吐き出しながらも、たとえ目が潤んでも決して涙は見せなかった。
暫くナミのもらす息遣いだけが部屋に響いて、場をより張りつめたものにする。
だが、静かに、優しく、そして諭(さと)すような口調で
「その犠牲と代価があなた達の子供でも?」
母親の言葉はナミに衝撃を与えた。
俯(うつむ)きそうになる顔を必死で下げないように耐えて
「そんなことひゃくも承知よ――何度もその答えにいきついたから。それくらい頭を回す使い道は知ってるわ。でも、考えて行き着いた結果にフタをして、見ないようにして、そして考えないようにしないとゾロとはこれから同じ道を歩いていけないの! 結果≠恐れてゾロから離れたとき気づいたの。ゾロなしでは生きられないって」
辛そうに笑うナミは、目に涙を浮かべているがその顔は強い輝きを持った女神のようだ。
と、それまで一言も口を挟まなかった父親が
「まァまァ母さん、そうカッカしてはいけないよ。血圧上がるしね」
その場ににつかわない明るい調子で妻をなだめた。
「でも――あなた……」
「ナミも考え抜いた結果がそれだったんだろう。ならわたし達にはもう口を挟めることはできないよ。いつまでも子供じゃないんだ」
なおも何か言いたげな母親をニコニコと見つめて黙らせた。
くるりとナミへと向き直り、妻と会話した時とは別の――
父親の顔で慈しむように話しだした。
その顔はナミだけの宝もの、ゾロの笑顔と同じものだった。
◇◆◇
「話と覚悟は聞いたよ。もし、母さんの言葉で折れるような覚悟ならわたしは頬を叩いていただろうけどね」
口調は静かだが、言葉は穏やかではない。
その言葉を聞いてナミは眉ねを寄せた。
「まァまァ、ナミもそんなにカッカしてはいけないよ。話は最後まで聞きなさい」
そう言って父親が話し始めた内容は驚愕(きょうがく)するものだった。ゾロもナミも目を見開いたまま固まっていた。
それは
――ゾロとナミが両思いだということを既に両親は知っていたというのだ。子供の頃道場で毎日「ナミちゃんスキー」、「ゾロ君、わたしをヨメにもらおうなんてぜいたくね」と繰り返していたので――当の本人達は忘れていたが――
「あなた達が子供の時、わたし達大人だったのよ。お互いを意識してただなんてとっくにしってたわ」と苦笑をもらした。
「でも子供の頃の『スキ』なんて冗談で済ませるでしょう。普通」
呆れたようにナミがぼやくも、父親が言葉を継ぎ足した。
「でもホテルで再開したときの君達の視線のやりとりはまるで何年も会えなかった恋人のようだったよ。見ているこちらが恥かしいくらいに見つめてたしね」
「そ、そんなことないと……思う」
「ホテルで君達が屋上へと気をきかせて2人きりにしてくれたとき『やはり両思いだね』って母さんと確信したんだ」
「どういうこと?」
「私達を2人きりにして気をきかせてくれたようにみせて、ぼそぼそ口ゲンかしてただろ? まるで痴話(ちわ)ゲンカだったよ、本当。見ている私達が恥かしいぐらいでね」
「――……」
ゾロもナミも言葉をなくしていると、ふいに笑いをひっこめて至極真面目な顔で
「ゾロ、おまえは義姉弟で、籍がいれられなくても、ナミを守っていけるのかい?」
恐いくらいの低い声に、ゾロはハッキリと
「ナミを守っていく覚悟はある」
と迷う間もなく答え、それを聞いた父は「うん」と嬉しそうな笑顔で答えた。
「それくらい覚悟があるなら、養子に行きなさい」
「養子?」
「ああ、そうだ。それなら結婚できるだろ?」
口の端を持ち上げて、無邪気に笑う顔は不敵で、でもどこか寂しそうだ。
ゾロがどう答えていいかわからず迷っていると、安心しなさいと言葉を続けた。
「養子にいってもおまえはわたしの子供にあることはかわりない。戸籍上の問題――紙切れ一枚の話だが、ね。あたり前だが寂しいよ。だけどね、守りたい人がいるなら手段は選んでられない。養子にいけば晴れてナミちゃんと結婚もできる。どうだい?」
「おやじ……」
「ま、君達が『結婚したい』って言ってくることを見越して新婚旅行に世界中へ行ってたんだけどね。信頼できる人の元に養子に行ってほしかったから」
「じゃああんなに言いあいすることなかったんじゃ……」
ナミが呆気にとられていると
「なに言ってるのよ。あなた達の覚悟を確認させてあげたんでしょう。わたしたちからの餞別(せんべつ)だと思ってほしいわ」
「母さん、父さん……」
ナミはハラリと涙をこぼした。
◇◆◇
それから半年して、ゾロは無事に高校を卒業した。
半年の間に度々海外へ赴き、養い親の元へゾロと両親が話合いに行った。もちろんナミも立ち会った。
季節は早々と巡り――
そして、とうとうゾロが海外へ養子に行く日となってしまったのだった。
アナウンスが響くターミナル。
ざわめきにかき消されないように、少し声を張って
「就職してナミを迎えにこれるまで待ってろ……とは、とてもじゃないけどいえねェ。人は変わるっていったのおれだしな」
「あら、自信がないの? わたしを繋ぎとめておく自信が」
「……そうかもな」
「なに言ってんのよ!」
「そうだな」
「そうよ。弱気なゾロなんてゾロらしくないわよ。いまは電話もあるし、インターネットもメールも、テレビ電話だってある高度な時代よ? それに飛行機乗ったらすぐよ、すぐ。 石器時代じゃないんだからね」
「そうだな」
はにかむように言葉を繰り返す。ナミも先ほどとは違い落ち着こうと、深呼吸してから答えた。
「ええ」
「……いってくる」
「いってらっしゃい」
「必ず迎えに来るから、待ってろ」
「わかったわ」
ゾロは搭乗口へとゆっくり足をすすめる。
だが、その歩きに引きずる思いは感じさせない。
むしろ、これは結婚までのカウントダウンの始まりなのだから。
そう自分にいい聞かせて、ナミはいつまでもゾロへと手を振り続けた。
おわり
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=あとがき=
やっと……やっと連載終了しました。途中何度も中断してた時期にも励ましのお言葉、本当に有り難うございました。第1話を書き始めた時に完結までズラっと話を考えていたのですが、実はラストが上の話とは違ってました。(ハイ、暴露大会)
元々考えていた話というのは、本当にラストはこんな終わり方でいいのだろうかと悩む話で。きっとラストを聞くと「なんだそりゃ」と思う方が多いだろうな……と思っていたもので19話をUPした時に『あー次ラストかァ。反応が怖い』と思ってたほどです(笑)
そんな時忌憚のないご意見を頂きまして。『このままじゃ納得いかないな、やっぱり』と思い、急遽最終話だけネタを練り直しました。練りなおしたお陰か(?)ゾロは遠くへ行ってしまいますが(汗)
いかがでしょうか。感想お待ちしています。
←素材提供:PhotoSmile 様